27歳婚約中女、「逃げ恥」を観たら現在地を確認できた件について

「逃げ恥」との出会い

私は27歳正社員且つ婚約中の女、
現在は恋人と同棲しつつ、結婚に伴う挨拶や、引っ越し準備を進めています。

慌ただしい日々の中で、思い通りに物事が運ばずにイライラし、モチベーションがなんとなく上がらないことも・・・。
気分転換にNetflixで家事の合間に流せる何か面白いドラマがないかなと漁っていたところ、
今から約8年前に大流行した、新垣結衣さんと星野源さんの主演ドラマ

「逃げるは恥だが役に立つ」

を発見しました!

当時、私は高校生でしたが、あまり恋愛に興味がなく、部活や趣味に傾倒していました。
そのため、「恋ダンス」や「どうやら面白いらしい」という感想には馴染みがありましたが、
実際はどのような話だったのかよく分かっていませんでした。

結論から言うと、

「当時の日本を観察し、非常によく描かれた社会派ヒューマンラブコメドラマ」

でした。
そして、この作品は、今の日本人の価値観の支柱となっている作品だと思いました。

ストーリー

既にご存じの方はたくさんいらっしゃると思いますが、ご存じない方のために念の為ストーリーをお伝えすると・・・

①派遣切りに遭い突如無職になった新垣結衣さん演じる森山みくり(以下:みくり)は、
 父親の紹介で星野源さん演じる津崎平匡(以下:平匡)の家で家事代行スタッフとして働くことに。

②みくりの提案で、2人は雇用関係で結ばれた「契約結婚」することに!
 ※「理解が得られないだろう」という判断から、表向きは普通の結婚としており、入籍はしていない
 ※みくりは住み込みで家事を行う代わりに給与を受取る従業員、平匡はその雇用主という関係

③給与をもらって「家事」をするみくりと、仕事に集中できる平匡。
 利害の一致でメリットを感じている2人だったが、さまざまな壁が立ちはだかる。

「逃げ恥」が描くさまざまな壁は、当時の日本が抱える課題のフルコース、といった具合でした。
また、日本の老若男女それぞれが、「恋人」や「夫婦」、それから「カテゴリー分けされている個人(例えば、独身のアラフィフ女性、イケメン男性、同性愛者)」に対して思い描いている理想や勘違い、思い込みについても、丁寧に紐解かれていました。
また、それぞれの立場でみな精一杯生きている姿が描かれており、
「逃げ恥」を観た後、誰かに一歩歩み寄りたくなるような気持ちにさせてくれる素敵なドラマでした。

詳しくは、Netflix等で視聴できるので是非♡
1人で観ても面白かったですが、内容がとても濃いので、恋人と一緒に観れば価値観の擦り合わせにもなって良かったかも・・・と今更ながら思いました!

恋人・夫婦関係に対する価値観を軸に、夫婦別姓、女性のキャリア、男性の育休、心の壁等・・・
一見難しそうな社会課題もコミカルに描かれていてとても見やすい作品です!

恋人としての現在地

「逃げ恥」では、雇用主・従業員として関係性がはっきりしていたビジネスライクな2人(家事の対価としてお金が支払われることで上下関係がはっきりしていた2人)が、恋をして2人のこれまでの関係に「愛情」を付け加えることで互いに歩み寄った結果【雇用主・従業員+恋人】となり、最終的には、共に「家」を守る【共同経営者】という関係性へと、変化し続けてきました。

私は思いました。

ビジネスと同じだ、と。

人と人との関係は、「施し」と「報酬」で成り立っていると思います。
「報酬」というのはお金だけはありません。モノや愛情、感謝、権利だって報酬になり得ると思います。
ただ、何が「報酬」となり得るのかは、受取る側によって違います。

現代において、一番分かりやすい形が「お金」というだけに過ぎません。

私は、相手の「施し」を誠実に受取ることが愛の第一段階、
相手が何を「報酬」としているのかを理解することが愛の第二段階だと思いました。
そして、「施し」だけで「報酬」がなければ、関係値が崩れていく。
「施し」と「報酬」の重みが違うと、「搾取」になっていきます。

これは、愛情深い恋人でも、ビジネスライクな仕事の関係でも友人でもご近所さんでも、同じなのではないでしょうか。
関係を続けていきたい人は、互いに「施し」と「報酬」のバランスが取れている人で、
関係を切りたい人、今回限りにしたい人、一線引きたい人は「施し」と「報酬」のバランスの均衡が取れない相手。

相手が何で喜ぶのか、相手の「施し」に対して自分は同じ重みの「報酬」を与えられているのか。
私の「施し」は相手にとって本当に必要なものなのか。
逆に相手の「報酬」に対して私の「施し」は重過ぎないか。
もしかしたら、「施し」が「報酬」として、「報酬」が「施し」として届いてぐちゃぐちゃになってしまっていないか。

私と恋人は、お互いに「察する」文化の中で生きてきた人間です。
何度か対話はしましたが、喧嘩はなく、ここまできました。
それは、冷静であろうと、努める余裕があったからです。


「喧嘩しておいた方がいい」という声をよく聞きますが、
今までは「喧嘩しなくても互いにとって居心地の良いと思う関係を築いてこれたのではないか」、
と思っていました。

しかし、何度対話したとしても、自分も相手も価値観が変わっていきます。
この先は「察する」が通用しなくなるかもしれない。
この先はずっと、自分の知らない自分や、自分で見えていなかった自分を知っている相手との生活。
出産や育児中、そのほかにも自分の気持ちに余裕がない時に
「自分の知らない自分」を突きつけられた時に、冷静でいられるのか、
万が一、相手を傷つけたり傷ついたりした時、関係性を再構築できるのだろうか。

そんなことを考えていると、準備をするよりも、変化に対応できることが大切だという気持ちにもなってきます。
一旦冷静になって話し合って、それでも解決しない時は距離や時間も置いてみる。
みくりや平匡のように、2人で2人の関係を作れる関係になっていきたいと思います。

まずは・・・
私は、相手の「施し」を誠実に受取り、相手にとっての「報酬」を正しく理解して渡せているだろうか?
恋人と話してみようと思います。

2025/02/05

samechan

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